Study 2050

2050年問題。これから先の未来、避けては通れぬ困難が私たちを待ち受ける。さて、今を楽しんでいる暇があるの?

これからの大学の使命とは

どうも!国立大学前期入試が終わり、一息ついてます、かんきちと申します。

今回は久々に2050年問題(日本の未来)について取り上げてみたいと思います。少子高齢化という、避けられない事態に直面する私たちですが、これから先、国立大学も地方では倒産する所も出てくるであろうという話もあります。

大学入試に合格していれば来年度から大学生の私です。現在、私立大学は次々と倒産しているようですが、これからの大学はどのようになるのでしょうか?

今の大学のあり方は昔とは違って、誰でも大学生になれる時代になりました。すこし厳しい言い方をすると、決して頭が良いとは言えない人でも、場所を選ばなければ入れる大学はいくらでもある上に、大学に入っても熱心に勉強に励む人というのは、非常に限られているというのが現状です。はっきり言って、最高学府というのは名ばかりになっています。これからも少子化が進み行くと、実力の弱い大学から倒産に追い込まれていきます。少子化が避けられない以上は、これは絶対です。

この平成がもう終わりを告げる時代。新しい時代の幕開けとともに、大学本来のあり方が問われているのではないかと私は思います。その名の通り、最高学府たる大学のあり方が要求されていくでしょう。その時に現代の大学事情をズルズルと引っ張っていくわけにはいきません。これまた言い方が良くないかもしれませんが、大学が淘汰されていく中で、学生にに求める質は間違いなく高まっていくでしょう。

私がバイトをしている塾の中学生の子や小学生の子は、「大学生は遊びばっかりしている」と言います。それは、大学生は学問に対する熱意を失っている、という点では的を射ている発言です。また、小・中学生が、大学生をそういう目で見ていることが、また一つ問題であるとも思います。最高学府の人間が初等教育機関の人間から舐められている、ということです。

これには、(元)大学生の某動画配信者の影響もあるかもしれませんが、こう言った舐めた発言は今に始まったものではなく、なんなら私が子供の頃にもそういった発言はありました。

世界で類を見ない空前の大問題を抱えているという事実を受け止めて、これからの大学生生活を考えていきたいです。私は、これからの大学が、最高学府としての権威のみならず、その実力を備えたものになることを願っていますし、私の大学生生活は、それに貢献できるようなものにしていけたら良いなと思います。

もし大学が、未曾有の問題に責任を持つ知の最高府として名実ともになりうるならば、これからの大学ブランドは、ネームバリュー以上に、大学の社会的実力そのものに裏打ちされることになるでしょう。