Study 2050

2050年問題。これから先の未来、避けては通れぬ困難が私たちを待ち受ける。さて、今を楽しんでいる暇があるの?

空き家の有効利用

 

こんにちはの巻。

 

これからの日本の未来、人口減少によって空き家が次々に増えていくことが予想されており、空き家が増えれば増えるほど犯罪の温床となる事実があるということから言って、その日本の未来は明るいものにはなり難いかもしれないですね。

今回は空き家の有効利用と題しまして、いくつか私の考えを共有できたらなと思います。

 

 

田舎に空き家があったなら

現在の日本でもすでに見られるはずですが、田舎の空き家はどのように有効利用すれば良いでしょうか。

 

「田舎‥‥都市生活の喧騒を離れ、自然と供にのどかに過ごしたい‥‥。」

 

そんな社会人のための、レンタルハウスとして貸し出す、というのはどうでしょうか。もちろん食材を買おうと思ったら、最寄りのスーパーまで数キロも離れているということも考えられるので、基本的に食材などは持参になるかもしれませんが。1泊2日もすれば十分でしょう。ゆったりとした時間を提供する場として、活用するのです。

それからもう一つは、受験浪人に貸し出すのもありではないかと思います。世の中にもレンタル自習室というのがありますが、それの進化版のようなものです。静かなところで勉強したいのならお勧めできるでしょう。ただこの場合、社会人に貸し出すのとは違って、1泊2日程度では短すぎです。半年とか1年程貸し出すことになるでしょう。そうなると最寄りにスーパーなどがないと困ります。使える空き家は限定されるでしょう。1人暮らしをしたいと思う若者は多いことも相まって、需要はありそうな気もします。

 

 

田舎が空き町になったなら

さらに人口減が進んで田舎町まるごと人がいなくなったらどうしましょうか。町全体に人がいなくなれば、レンタルハウスの利用は厳しくなるでしょう。まずスーパーが無いので食材を確保することができず、先ほどの長期的なレンタルハウスの利用は難しくなります。さらに、空き町になるほどに人がいなくなれば、犯罪に利用される危険性があります。レンタルハウスの利用客を誘拐したとて、目撃者なんているでしょうか。助かる見込みも誘拐犯が捕まる見込みも無いに等しいでしょう。誘拐だけでなく、例えば死体を遺棄するとか、危ないクスリの受け渡しとか、全体的に人がいなくなると、悪いことし放題になると考えられるのです。そうなると、もう誰もレンタルハウスを利用しようとは思わないはず。

ただ、今のところ、私としてのアイデアは何も思い浮かびません‥‥。

しかし、イメージしてみてください。真夏の夕暮れ、田舎道を男女の高校生が自電車を押している。夜が更けるにつれて、神社の境内には提灯がともり、人が賑わいお祭りをしている。浴衣姿のあの人と、屋台が並ぶ細い道を歩く。田舎の夏の夕暮れや祭りは、楽しさと切なさを兼ね備えている幻想的な雰囲気を感じさせます。(私の勝手なイメージですが)

また、こういうアニメや映画のワンシーンってありがちですよね。憧れませんか?田舎を犯罪の温床にはしちゃダメです。

f:id:kannkiti2013:20190322005240j:image

 

 

都市に空き家があったなら

空き家といっても、ここでは空きマンションを想定します。やはりマンションともなると、非常に頑丈な造りとなっていて大きいので、費用はとても高くつきますから、解体には足踏みすることもあるとか。

例えば空きマンションには、先ほどのレンタルハウスに発想を得て、浪人生のレンタルマンションに姿を変えてはどうかと思うのです。都市部であればある程度生活にも困らないので、長期的な利用も可能です。また、マンションであれば、各部屋に潤沢な参考書などを備え付けてあげることも可能。管理人として大学生を常駐させることができれば、浪人生はいつでも直接質問できます。一般の自習室では、複数人の学生が部屋を共有しますが、個人の空間で勉強できる上に参考書も揃っているとなれば、ここで勉強してみたいと思う人もいるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

f:id:kannkiti2013:20190322005945j:image

 

 

都市が空き街になったなら

これが起こるには、もう少し先の未来かもしれませんが、都市がまるごと空き街と化したらどうしたらいいでしょうか。

昨今では、荒野行動やFortniteのようなバトロワ系のゲームが子供達に人気です。そこで街そのものを生かして、サバゲー場を設けてみるというのはどうでしょうか。部屋に隠れたり、都市の中を駆け抜けたりするのは、まさに荒野行動やFortniteの世界を実体験する感じで、ただ林の中でサバゲーをするよりも面白いのではないかと個人的に思います。

f:id:kannkiti2013:20190322005836p:image

また、都市を利用したゲーム大会だって開催できます。カードゲーム・遊戯王のアニメでは、街全体がデュエルスペースと化し、そこかしこでデュエルを展開していくという、現在でも実現不可能な規模の大会が開催されています。

f:id:kannkiti2013:20190322004329j:image

しかし、もし空き街が出現すれば、この大会の実現可能性も高まります。デュエリストなら、一度はこの大会に出るべきだ。そんな時代がやってくるかもしれません。世界でも例をみないですから、先駆けて実行できれば、世界のデュエリストまでもが駆けつけるなんていうことにもなるでしょう。

 

 

最後に

いかに少子化・高齢化・人口減少をうまく利用できるか。それは日本の未来を担う私たちが今から考えるべき内容ではないかと思います。2050年問題とも言われる一連の危機は、少子高齢化と人口減少によるものです。未だ嘗てないこの問題に、どう向かっていきましょう。

先日、空き家が一件増えました

こんにちは!2050年問題について、色々と記事をあげたりあげなかったりしている者です。今回は、2050年問題のなかの一つ、空き家問題についてご報告します。かなり前に一度、それに関する記事はあげていますので、そちらをご覧ください。

 

私の祖父母の家が空き家になりました。

今回のご報告は、見出しの通りです。つい先日、母方の祖父母とも亡くなってしまい、空き家になってしまったのです。空き家は管理費や維持費だけでも高くつきますから、どうせ誰も住む予定がないのなら、あっても仕方がないものです。

現在、空き家の件数は増加の一途を辿っており、平成25年(2013年)で、13.5%が空き家となりました。

f:id:kannkiti2013:20190310161932j:image

総務省のデータより

このままいくと、2033年で3戸に1戸が空き家となる(空き家率が30%を超える)と言われています。

 

2050年問題を感じます

今回の一件を通して、2050年の日本の行く末を身近に感じました。空き家がどんどん増えていく未来が視えるのに、首都圏では未だに新しい住宅が建設されています。もちろんそれは、その土地において需要がある(首都圏人口は上昇している)ということなのですが、2050年を境に、首都圏の人口も減少に転ずると言われていますから、そうなったらどうするつもりなのでしょうか。

f:id:kannkiti2013:20190310162409p:image

首都圏が廃墟地となる日が、私の行きているうちに来るだろうから、これは見過ごせない問題ですね。

花粉症という負の遺産

f:id:kannkiti2013:20190309235445j:image

今年は花粉の飛散量が

やばい

最近そういうニュースをよく見かけることが多いですね。私は小学生の頃から花粉症患者でありますが、近年になってますます悪化してきたように思います(具体的には喉に痛みが出るようになったら、頭が重くなったりします)が、この花粉症、元はと言えば、過去の人間の手によって作られた負の遺産、といっても良いのではないかと思うのです。

 

 

 

花粉症の環境的な要因

天下のWikipedia様をご覧になられたほうがより詳しく知ることがでしょう。ここでは簡単にまとめます。

 

〜花粉症が蔓延するまで〜

①家をたくさん建てたいから、扱いやすい杉や檜(ヒノキ)をたくさん植えるぞ。

②木材は結局海外から確保することにしたから、もう杉も檜も使わないぞ。そのまま植えておくぞ。

③杉や檜が生長したぞ。花粉飛ばすぞ。

④さらに、車のガスやタバコの煙、都市化の影響で、花粉が長くとどまるようにしてくれるぞ。

⑤花粉症続出だぞ

とまあ、こんな感じなんだとか。

もうすこし簡潔に述べるとすると、

物質的、経済的な豊かさを求めた結果、花粉症は蔓延した。

ということになるのではないか、と思うのです。

 

 

 

物質文明先進国

精神文明後進国

それが今の日本

徹底した実証主義、科学万能主義な日本の国柄は、高度経済成長によって世界の表舞台に躍り出たのだから、当然の結果なのかもしれません。現代では、スマートフォン関連の事件・事故などが絶えないように、たかが金属の板切れにも右往左往しています。私もまた、そういう人間だと思います。さらに小学校の道徳教育では、いじめが絶えない今日も、道徳は副教科の立ち位置ですし、その教育の内容も、ルールを重んじること・逸脱することがないようにすること、という、表層的な道徳教育になりがちなのではないかと指摘する書物もあります。

科学文明が高度に発達して、物質的快楽の中に生きることができる今日の先進国人は、これからは精神文明を発達させて上手に科学を扱い、さらにそれだけでなく、未だ先進国の中でも飢えて死にゆく多くの命、ましてや発展途上国などもってのほかだが、そういう命に向き合い行動できる私たちになりたいものです。

 

 

 

日本の未来は危うい

既知のことではありますが、日本は少子高齢化という、空前の難題を抱えています。しかしその事実を深く理解している人がどれだけいるのか、あるいは、浅くても理解が及んでいる人すらどれだけいるのでしょうか。私もまだまだ浅薄であると感じます。

さて、今日の私たちもまた、自分が幸せであれば良いと言い、あるいはそうは言っていなくても、そう言われて仕方がない生活をするならば、日本は消滅。

取り返しのつかない負の遺産を、果ては遺産すらも残らない

そんなことになるのかもしれませんね。

これから始まる医療の未来

f:id:kannkiti2013:20190308074626p:image

どうも!かんきちです。

今回は2050年問題についての話です!具体的には、これからの医療のあり方と少子高齢化についてを共有したいと思います。

今回はこちらの書物↓

を大いに参考にさせてもらいます!

 

 

命を救うのは名医だろうか、医療機器だろうか。

医療ドラマなどを見てみると、クローズアップされるのはやはり、外科の執刀医であることが多いような気がします。内科の医師とか、看護師が主人公のドラマは、あんまり聞いたことがないですよね。(僕が知らなさすぎるだけかもしれませんが)

やはり医療ドラマを見てみると、命を救うのは医師であり、また、最先端の医療機器であるように見えます。しかし、実はどんなに最高の名医と、最高の医療機器と、最高の助手と、最高の看護師が揃っていても、あるもの が無ければそもそも命など救うことができないのです。そのあるものとは何でしょうか。

それは、血液 です。東洋医学ならいざ知らず、西洋医学外科手術には絶対に輸血が必要ですよね。確かに、医療ドラマを見てみると、ドバドバと血液が出まくっているシーンとかありますもんね。

ではこの血液はどこからきているのだろうか。まさか、カエルやヘビの血液なわけが無いでしょう。そう、人間の血液です。献血とかよく駅前で見かけますよね。ちなみに、輸血される血液のほとんどが50歳以下の血液で占められているそうです。まさに、命を救うのは人間の血液 すなわち民間人の善意によるものだと言って良いでしょう。

 

少子高齢化が進めばどうなる?

さて、若者が減り、年寄りが増えるこれからの日本、医療の現場はどのように変化していくのでしょうか。先にも述べたように、現在輸血されている血液の多くは50歳以下の血液によって支えられています。少子化によって血液の供給は減っていくと見られる一方、高齢化によって需要が高まります。血液が不足していくことが予想されるのです。

そうなってくると、どうでしょうか。病院に行ったところで、血液がなければ外科治療は難しくなります。外科治療は、何も事故や怪我の時だけではなくて、がんや心臓病などの病気の際にも行われます。将来の病院は、病気が直せなくなるかもしれないのです。

ならば、今のうちに血液をたくさん確保しておこう!そうできれば良いですが、そう簡単ではありません。血液の保存は、長いもので1年は持ちますが、されど1年程度なのです。そもそもほとんどの輸血用血液は1ヶ月と持たず、最短で4日。血液は保存が効かないのです。

 

次世代の医療が求められる

少子高齢化による社会が到来することは逃れることのできない未来です。これからの少子高齢化の対応次第では、少子高齢の社会存続の期間を短くすることはできるかもしれませんが。しかし、それでもそういう社会がやってくることは間違いがないことであり、医療の現場のこれからにも目を向けていかなければなりませんね。血液って人口的に作れる可能性ってあるのかな?それとも東洋医学に注目が集まる時代になるのかな?まあ、浅薄な私には判りかねることです。とにかく、団塊の世代全員が75歳以上になるのが2024年と言われています。そして輸血用血液の使用先の80パーセントが50歳以上だそうです。治療できない病院がやってくるのは、割と近い話なのかもしれません。

巨乳平面説は正しいのか

まずは巨乳平面説についてご存じない方たちに、簡単にこの説について触れておきましょう。次の漫画の1ページをご覧ください。

f:id:kannkiti2013:20190308000637j:image

まさにこの漫画の通りなのですが、巨乳平面説とは、乳房が平たいものであればあるほど、潜在的に秘めている乳房は大きくなる(潜在的巨乳である)という理屈のことを言います。

今回はこれについて検証してみたいと思います。

 

曲率

巨乳平面説によれば、乳房の一部分を円の孤の一部と捉えることで、その円全体の半径を、潜在的な乳房の半径と見ているようです。

このように、ある曲線の一部を円の孤の一部と見る考え方は、曲率という考え方そのものに当てはまります。曲率とは、ある曲線について、その微小な部分の曲線を円の一部と見るという考え方です。漫画でも曲率という言葉が使われていることからも、巨乳平面説と曲率は密接な関わりあいがあります。

 

曲率半径

そして、巨乳平面説における、潜在的な乳房の大きさ(半径)は、曲率半径と同じです。曲率半径とは、ある曲線の微小部分を円の一部とした時の、その円の半径を言います。

f:id:kannkiti2013:20190308001739j:image

曲率半径とは、その半径の大小に応じて、曲線の曲がり具合を示すものになります。(それは曲率半径の公式およびその計算過程を見れば分かる方には分かるでしょうが、最後に載せておきます)

この曲率半径が大きければ大きいほど、その曲線の曲がり具合は平坦に近くなります。下の図を見ると分かりやすいでしょう。

f:id:kannkiti2013:20190308002031j:image

 

巨乳平面説は正しいのか

さて、曲率半径の考え方に立ち返った時、これはどこまでも曲線の曲がり具合を表しているものであり、曲率半径が大きいということ(巨乳平面説によれば、潜在的に巨乳の状態)は、その曲線(乳房のライン)が平坦であることを示しているに過ぎないのです。つまり、巨乳平面説とは一見すると、貧乳を否定する論理なのですが、数学においてその真実を見てみる時、この説は、ただ単に、貧乳は貧乳である いう事実を示しただけなのです。つまり、巨乳平面説の考え方では、潜在的巨乳を証明するには無理があるということがわかります。

 

最後に

巨乳平面説は正しいのか、という議題で話を進めてきましたが、結局のところ、その真偽は知識の浅薄な私には判断しかねるところがありますが、今回の検証では、この説には無理があるだろうという結論をしておこうと思います。

皆さんが日頃触れている学問は、色々なところで応用できます。今回は高校数学の内容をふんだんに用いてみました。ただ知識を蓄えるだけでなく、いかに知識を用いるか。とても大事な考え方ではないかと思います。

 

 

曲率半径の計算

f:id:kannkiti2013:20190308004121j:image

f:id:kannkiti2013:20190308004125j:image

これからの大学の使命とは

どうも!国立大学前期入試が終わり、一息ついてます、かんきちと申します。

今回は久々に2050年問題(日本の未来)について取り上げてみたいと思います。少子高齢化という、避けられない事態に直面する私たちですが、これから先、国立大学も地方では倒産する所も出てくるであろうという話もあります。

大学入試に合格していれば来年度から大学生の私です。現在、私立大学は次々と倒産しているようですが、これからの大学はどのようになるのでしょうか?

今の大学のあり方は昔とは違って、誰でも大学生になれる時代になりました。すこし厳しい言い方をすると、決して頭が良いとは言えない人でも、場所を選ばなければ入れる大学はいくらでもある上に、大学に入っても熱心に勉強に励む人というのは、非常に限られているというのが現状です。はっきり言って、最高学府というのは名ばかりになっています。これからも少子化が進み行くと、実力の弱い大学から倒産に追い込まれていきます。少子化が避けられない以上は、これは絶対です。

この平成がもう終わりを告げる時代。新しい時代の幕開けとともに、大学本来のあり方が問われているのではないかと私は思います。その名の通り、最高学府たる大学のあり方が要求されていくでしょう。その時に現代の大学事情をズルズルと引っ張っていくわけにはいきません。これまた言い方が良くないかもしれませんが、大学が淘汰されていく中で、学生にに求める質は間違いなく高まっていくでしょう。

私がバイトをしている塾の中学生の子や小学生の子は、「大学生は遊びばっかりしている」と言います。それは、大学生は学問に対する熱意を失っている、という点では的を射ている発言です。また、小・中学生が、大学生をそういう目で見ていることが、また一つ問題であるとも思います。最高学府の人間が初等教育機関の人間から舐められている、ということです。

これには、(元)大学生の某動画配信者の影響もあるかもしれませんが、こう言った舐めた発言は今に始まったものではなく、なんなら私が子供の頃にもそういった発言はありました。

世界で類を見ない空前の大問題を抱えているという事実を受け止めて、これからの大学生生活を考えていきたいです。私は、これからの大学が、最高学府としての権威のみならず、その実力を備えたものになることを願っていますし、私の大学生生活は、それに貢献できるようなものにしていけたら良いなと思います。

もし大学が、未曾有の問題に責任を持つ知の最高府として名実ともになりうるならば、これからの大学ブランドは、ネームバリュー以上に、大学の社会的実力そのものに裏打ちされることになるでしょう。

2019センター試験を振り返って

受験生・浪人生の皆さん、お疲れ様でした。平成最後のセンター試験、今年も色々な伝説が作られ、狂喜乱舞であったこと間違いなしでしたね。思うようにいった人もいれば、なかなか思うようにはいかなかった人もいたと思いますが、一先ずこの濃い2日間の内に何があったのか、ゆっくり振り返っていきましょう。

 

 

目次

1.おしゃべり役立たず  森惠 (日本史A)

2.ふるさと納税が出題される(倫政)

3.姫に恋しちゃった吾輩は狐である。(国語)

4.野菜の化け物(リスニング)

5.漸化式⁈  確率 p で大荒れ(数1A)

6.原子物理がついに出題される(物理基礎)

7.しつこいメガネ(物理)

 

基本的に僕が受験した科目しか書けないので、それ以外でも何かあったら、コメントください!随時更新していきます!

 

 

 

 

1.おしゃべり役立たず  森惠(日本史)

 

まずは、こちらを読んでみてください。

f:id:kannkiti2013:20190120163920j:image

f:id:kannkiti2013:20190120163923j:image

簡単に話のあらすじを言うと、高校生の翔太君が大学生(姉)の森惠に対して、合唱コンで歌う曲について意見をもらおうとします。すると森惠は、唐突に自分の知識をひけらかし、ひけらかし。そして終いには、話を戻そうと翔太君がもう一度、合唱コンの意見を聞こうとしたところ、

「それは自分で考えなさい」

である。

散々勝手に話だして、「それは自分で考えなさい」である。長話に付き合ってあげた翔太君が、かわいそうな一文であった。

ちなみに、大手予備校が行う模試などには、こういった社会科目のリード文に色々とネタを仕込んでくることが多い。著作権上それらの一部をも公開することはできないが、ぜひ気にしてみてほしい。

 

 

 

 

2.ふるさと納税が出題される(倫政)

 

政経でも同じ問題が出題がされていたが、このように、なにかと旬な話題を入れやすいのも、社会科目の面白いところです。

調べてみると、ふるさと納税が始まったのは2008年と、意外と昔なことに驚きです。しかし、ここ数年話題に取り上げられてきたということもあって、旬でした。

特にふるさと納税といえば、返礼品でしょう。センター試験の一月ほど前にも、とある返礼品について、一悶着ありました。

それこそは佐賀県みやき町。なんと返礼品にアマゾンギフトカードがあげられておりました!これは流石にふりさと納税の意義を見失っていると言わざるを得ないものでした。

やはりその地域特産の返礼品において競争することが、地方創生に直結すると言えます。しかし、アマギフではただ税収を増やすだけで、地方創生には直結するとは言い難く‥‥

どうやら法には引っかからないそうですが、国から勧告をうけ(そりゃあそうじゃ)、2018年12月30日をもって、アマギフは停止しました。

f:id:kannkiti2013:20190120170655p:image

来年は何が出題されるでしょうか?僕が思うに、来年はやはり天皇の国事行為に関しての出題があるだろうと予想します。2019年4月1日をもって、平成から新たな年号へと変わります。そうなれば国事行為に関して、必ずニュースでも取り上げられるでしょう。(というか本日2019年1月20日でも既にニュースに取り上げられてました)

 

 

 

 

3.姫に恋しちゃった吾輩は狐である(国語)

 

国語の中でも一際評判が高かったのは、国語の古典でした。姫君に恋しちゃった雄の狐は、人間の女性に化けて、姫君とキャッキャウフフな物語させ給ひにけりというものでした。また、正体を明かせない、そんな立場であるゆえに永遠に実らぬ恋として、非常に切ない終わり方をしたことでも印象深かったです。

Twitterを見る限り受験生の反応としては、レズビアン的な、あるいは男の娘的な要素に惹かれて、感謝感激雨霰であるという感想が多かった印象です。

国語は毎年事欠かないコンテンツです。来年はどんな物語が、私たちの心を揺さぶってくるのでしょうか?

 

 

 

 

4.野菜の化け物(リスニング)

 

f:id:kannkiti2013:20190120172243j:image

 

見ての通りです。

 

Twitterで検索かけてみてもらったら、死ぬほどコラ画像あるんで、私からはそこまでこの絵については語りません。

ただ一つ言いたいのは、リスニング第1問、これです。もうね、これ絶対SNSで話題になるやつだって、試験受けながら思ったね。てか、受験生みんな思ったよね、これ。

もしかして、試験開始前にカンニングしたやつを炙り出すために、わざとネタを仕込んでいるのでは?とTwitterで意見する方もいましたが、ワンチャンそれ、あり得る。

ちなみに、かつて2013年リスニング第1問は、こんな感じ。

f:id:kannkiti2013:20190120173211p:image

これもなかなかだなと思います。だって、ぱっと見て違いがよく分からないし、一体何故にこんな格好をすることになるのか、見当がつかないですしね。

ま、今年もセンター名物、見れてよかった。

 

 

 

 

5.漸化式⁈ 確率 p で大荒れ(数学1A)

 

まずは、問題を見てくださいな。

f:id:kannkiti2013:20190120173822j:imagef:id:kannkiti2013:20190120173826j:image

騒動になったのは、第3問の(3)、クとケです。1回目に白袋から白球を取り出す確率をpと置いて、2回目にどうなるかをpを用いて表す問題でしたが、出来不出来の差は、pの余事象、つまり1-pを考えられたかどうかでしょう。

これは、任意の試行回数を終えた後の確率を文字で置き、次の試行における確率を求めるという、数学2Bの確率漸化式の内容によく似ています。ここでは、任意の試行回数ではなく、1回目、2回目に限定しているものの、考え方は必然的に確率漸化式のそれになることは避けられません。そう、やはり確率漸化式でも、余事象を考慮に入れて立式するという、今回の問題のポイントと同じ発想をするのです。

とはいっても、確率漸化式はセンターでは出ないし、文系には手薄になりがちなところ。また、そもそも1Aの確率で、こんな問題が出るなどとは思いもしないという先入観から、手が止まってしまった理系諸君もいたのではないかと思います。

確率 p なんと恐ろしい。新しいセンター数学の歴史に間違いなく刻まれる1題となったでしょう。

ちなみに p と聞くと、2013年センター数学1Aで、動点 p が話題になりました。

f:id:kannkiti2013:20190120175150j:image

どうやら p は、受験生を落とす死刑執行人のようです。

 

 

 

 

6.原子物理がついに出題される(物理基礎)

 

2015年、新学習指導要領が施行され、物理においては原子物理が参入してきました。とは言うものの、それからのセンターにおいての原子物理の扱いは、専門科目の物理の方で選択科目に登場するくらいでした。

しかし、今回2019年、物理基礎では、やっとこさ原子物理の内容が!

f:id:kannkiti2013:20190120180244j:image

専門科目の物理の方ではどうだったのかな?必答問題にも原子物理が顔だしたかな?ちょっと文系の私には分からないですが、もし理系の方で物理受けた方は、コメントで教えてください。ちなみに、この写真僕の問題用紙なんだけど、あってるよね‥?

 

 

 

7.しつこいメガネ

まずはこの画像から。

f:id:kannkiti2013:20190205235409j:image

おそらく慣性の法則に関する問題でしょう、よく見るタイプの問題です。ところでその車両の中には、ボールを持った子どもが見えますか?ここメガネ君が、今回の話題の中心人物になります。

結果から言うと、このメガネ君、実はこの問題だけではなく、大問をまたいで別の問題にも出てきます。

それがこれ。

f:id:kannkiti2013:20190205235348j:image

f:id:kannkiti2013:20190205235714j:image

おそらく光の屈折など扱った光学の問題でしょうか。多くの物理受験者は思ったはず。あれ、このメガネ、どっかで見たなあ‥。

なぜにコイツにここまでこだわったのか、謎は深まるばかりですが、一つ言えることは、

f:id:kannkiti2013:20190205235927j:image

メガネ君と姉ちゃんは仲が悪い、ということです。

 

 

 

 

 

 

さてと、改めまして、センターお疲れ様でした!結果の良し悪し、人によりけり だと思われますが、どんな結果であれ、大事なのはこれからです!

皆さんは何のために勉強をしていますか?大学に受かるためというなら、それはどうでしょうか?むしろ大学こそ、勉強をするところなのであって、そして勉強は生涯していくものとも言われますから、勉強は大学受験で終わるのではないのです。

むしろ、大学で何をするのか、また、大学で勉強するにしても、いかに学ぶのか(積極的に学ぶのか、受動的に学ぶのか)の方が大事なことのように思えます。

もちろん、出来た出来なかったという、現実から逃げてはいけないのかもしれませんから、自己採点も、明日までにしたら良きでしょう。しかし、なによりも大事なことは、大学に向けて心構えや志を定めるなど、内的な準備です。

なんとなーく大学に来て、友達に宿題見せてもらって楽をして、酒飲んで女と遊んで、卒論だけは頑張ってやって‥‥。はっきり言って、多くの大学生はそう(だからこそ、大学生は遊んでばかりと子ども達に思われがち)なのです。

だから、失敗しても、へこたれないでね!ダイジョーブ!うまくいっても、足元をすくわれないよう気をつけて!皆様の生涯学習がより良いものになりますやうに。そして僕も二次試験に備えていきます!